1.1. 赦の日
雲母数陀(kirarasta)はこの日ついに契機を得た。今こそこの身体に翅を生やして飛び立ち、この巨大な聳え立つ大根の頂に立つ時だ。そこから都を眺望し、この国では人参が同床になった、と皆々に訴えかけることができるはずだ。もう彼らはただ自然の中で生きてよいのだ。道端に生えていれば違法だと引っこ抜かれ打ち捨てられることもない。橙色で気持ち悪いと罵られることもなくなっていくだろう。大根も人参も根菜として人々に受け入れられていくだろう。そのためには世界に宣誓しなければならない、発話が新たな秩序を生む。そしてそのためには音ができるだけ広く発散する場所に上る必要がある。今日の大根当番は、運がいいことに雲母数陀の役目だった。雲母数陀は目を閉じて手で大地を擦り、地中に生きる者たちによる地上へと上昇する欲求を感じ取ることに集中する。すると彼らの欲望は雲母数陀の背中へと流れていき翅として顕れた。飛ぼうと意識をする間もなく、翅は風を切る鈍い音を鳴らしながら羽ばたき、雲母数陀の身体は一気に巨大な大根の塔の頂上まで上昇した。
しかし、ふと考えると人参の存在が明示的に認められたことを、なぜ自分が真実だと確信できるのか、その核心となる根拠がないことに気が付いた。宣誓しなければ是にはならないのであるならば、未だ事実であらず。ならばなぜ私が宣誓するのか。どうやって私はそれが妥当だと知ったのか。人参は私にとって何なのか。雲母数陀は全く当惑してしまった。今はこの大根の頂から降りるときかもしれない。しかし降りる前に今日の大根当番を済ませてしまわないといけない。雲母数陀が大根の葉の根本に手を触れ、丁度一周分を歩きながら撫でると、撫でた箇所から茎が切断され茂った葉は麓に落ちていった。さて降りる際に桂向きをしなければならない。雲母数陀は大根の頂の縁に立ち、その場の表面を少しえぐり皮むきの取っ掛りを作った。そして内側から足を入れつま先を脛に対して直角に固定し鉤のように引っ掛け、全身を下向きにして、その取っ掛りにぶら下がった。雲母数陀の脛は刃のように鋭利であり、ぶら下がった身体を振り子のように勢いをつけ、ほんの少し斜め下に脛を移動させるや否や、重力に任せて勢いよく滑らかに皮が剥けてゆき、身体は円柱を斜めに沿うように滑降していった。
雲母数陀が降り立ったそこには大量のひとつながりになった皮と、伐採された葉と茎、そして今日の食材に市民が集まってきていた。これで今日も市民の生命は維持される。これに安心した巨大根は役割を終え、地中に沈み埋もれていった。また明日は別の誰かがこの役割を担う。再度、出番が来るまで大根は地中で再生する。雲母数陀は皮と葉茎を一部分採り、今日の燃料を確保した。帰路に就こうと歩き始めた。人参は未だこの土地に受け入れられることはない。ただ一度受け入れられてしまえば彼らにも大根のように自分の身を削がれることを強いられるだろう。それならば排他されていたほうが良いのではないか。受け入れられることは削られることを意味するのだから。人参のためを思えば、このままがよい。そう結論付けた瞬間、なぜか足が重くなった。いずれにしても雲母数陀は人参ではない。当事者ではないから別に考える必要もない。そう思うと最初の宣誓の決心はなんだったのか。その動機を深く考える必要はない、と思った。歩くことは歩くことへの没頭を要求するため、意識は自然と足の運びへと移ろいでいった。また今日も人参は隅田の川辺で凍てつく風に吹き晒されていた。